「自分が最高になるためにやっていたわけではない。タイトルを勝ち取るためにやっていたわけでもないし、ミリオンダラーを稼ぎたかったわけでもない。計画なんてなかった。ただ、自分の愛することを続けてきただけなんだ。」
概要
1980年代からウィンドサーフィンの世界的トップスター(24回の世界王者)として君臨し、トレードマークであるセールナンバー「US-1111」は世界中のウォータースポーツファンの憧れの的となった。後にカイトサーフィン黎明期のマウイ島でスポーツの発展を牽引した伝説的なウォーターマンである。
カイトボードにおいては、自身がゼッケンを着て戦うよりも、自らのブランドを通じて若き天才たちをスポンサードし、業界の基盤を作る「ゴッドファーザー」としての役割に徹していた。現在もマウイ島を拠点としており、スタンドアップパドルボード(SUP)などで毎日波に乗る姿が目撃されている。
キャリア
ウィンドサーフィン界の象徴的アイコンとして活躍した後、1997年〜1998年頃に黎明期のカイトサーフィンへ参入した。ドン・モンタギュー(Don Montague)らと共に初期の機材開発に深く関わり、スポーツとしての土台を作り上げた。
元々のインフレータブルカイトの特許は、Wipikaを創設したフランスのレガニュー兄弟(ドミニク&ブルーノ・レガニュー)が1985年に出願したものである。ロビー・ナッシュは彼らからその特許ライセンスを購入し、1999年末にNaish Sailsから「AR 3.5」をリリースした。この瞬間こそが、カイトボーディングが本格的な「スポーツ」として世界に誕生した契機であると語り継がれている。
カイトでの競技タイトル獲得はごくわずかだが、1998年のカイトボード・スラローム世界選手権や、1999年の初代「Red Bull King of the Air」で優勝を飾るなど、当時の競技シーンでも高い実力を示している。
スポンサー・所属ブランド
長年にわたり自身の冠ブランドである「Naish Kiteboarding」を率いてきた。また、彼の親会社である「Nulli Kai」は、「バーを体から押し出してリリースする(プッシュ・アウェイ)」というクイックリリース・システムの特許を保持していた。この特許は、その後約20年間にわたり他ブランドも含めたカイトボード業界全体の安全基準の根底を支え続けた。
近年、長年のヨーロッパ代理店であったKubis(クービス)スポーツへブランド(Naish Sails)を売却した。しかし、アパレルやサーフィン部門の商標(IP)は引き続き彼自身が保持しており、売却後もブランドの製品開発に関与し続けている。
パーソナリティと交友関係
ビジネスマンとしてよりも、いちウォーターマンとしての純粋な情熱を何よりも大切にしている。カイトボードにおいても「自分が最高になるためや、タイトルを勝ち取るため、お金を稼ぐためにやったわけではない」と語り、水上スポーツへの底知れぬ愛情と余裕を持ち合わせている。
年齢を重ねて競技シーンの第一線を退いた現在でも、「世界チャンピオンの姿勢を持つ人物」として世代を超えた多くのライダーたちから深い敬意を集めている。
名言・エピソード
「問題は、もう本当に楽しめなくなっていたことなんだ。ビジネスの側面は決して私の得意分野ではなかったし、私が心から楽しめたものではなかった。」
—ロビー・ナッシュ
大会結果
1998年 カイトボード・スラローム世界選手権 優勝
1999年 Red Bull King of the Air(マウイ) 優勝
検索用エイリアス: ロビー・ナッシュ, ロビーナッシュ, Robby Naish, RobbyNaish

