概要
「It’s actually one of the reasons they did the Skyride in Tarifa in 2002 and it was one of the reasons I got into kiting. It is, it’s an event that kind of represents the reason why all of us got into kiting, which is to touch the sky.」
(2002年にタリファで『Skyride』が開催されて、それこそが僕がカイトサーフィンを始めた理由の一つだったんだ。僕たち全員がカイトを始めた理由、つまり「空に触れる」ということを象徴するイベントなんだよ。)
Red Bull Sky Ride(レッドブル・スカイライド)は、カイトサーフィンというスポーツが世に出始めたばかりの1999年にスペイン・タリファで誕生し、2000年代後半まで約10年間にわたって開催された伝説的なビッグエアおよびフリースタイルの大会である。ウィンドサーフィンの聖地であったタリファを「ヨーロッパにおけるカイトサーフィンのメッカ」へと決定づけた記念碑的イベントであり、現代のビッグエア競技のルーツを語る上で欠かせない原点の一つとして歴史に刻まれている。
黎明期の大会シーンにおける歴史的位置づけ
1990年代末から2000年代初頭にかけて、カイトサーフィン界では世界各地で歴史的な初期イベントが次々と産声を上げていた。ビッグエア発祥の地であるハワイ・マウイ島のホオキパ(Ho’okipa)で始まった「Red Bull King of the Air(KOTA)」をはじめ、セルジオ・カンタガッリ(Sergio Cantagalli)らが手掛けフリースタイル競技の誕生を促したイタリア・ガルダ湖の「Red Bull King of the Lake」やドイツ・北海の孤島での「ヘルゴラント招待大会(Helgoland)」、そして2001年にフエルテベントゥラ島とスイス・シルヴァプラーナでの大会を経て設立された世界ツアー「PKRA(Professional Kiteboard Riders Association)」などである。
こうした黎明期の群雄割拠の中で、Red Bull Sky Rideは1999年に単なる予選大会としてではなく、それ自体がヨーロッパ最高峰のタイトルを争う独立したビッグエア大会としてスタートした。その後、2000年代前半にかけてマウイの「Red Bull King of the Air」が世界各国の大会から代表ライダーを選抜してハワイへ送り込む仕組みを整えた際には、ヨーロッパにおける重要な選考大会としての役割も兼ね備えるようになった。さらに、2005年をもってマウイでの第1期Red Bull King of the Airが休止となった後も、Red Bull Sky Rideはタリファ独自のビッグイベントとして単独開催され続け、「空に触れる(touch the sky)」というカイトサーフィンの最もプリミティブで強烈な魅力を体現し続けた。
開催地とコンディション
舞台となったのは、ジブラルタル海峡に面したヨーロッパ最南端の風の街、スペイン・タリファのロス・ランセス・ビーチ(Playa de Los Lances)やバルデバケロス(Valdevaqueros)といった広大なビーチである。地中海側から吹き抜ける猛烈な東風「レバンテ(Levante)」と、大西洋側から安定した風と波をもたらす西風「ポニエンテ(Poniente)」という2つの局地風が吹き荒れるこの場所は、まさにビッグエアの競技にうってつけの天然スタジアムであった。大会期間中はビーチに数万人規模の観客が詰めかけ、強風の中で空高く舞い上がるライダーたちの姿に熱狂した。
フォーマットと出場したパイオニアたち
1999年の第1回大会をはじめとする初期のフォーマットは、現在のようなメガループや複雑なボードオフ・コンボではなく、「どれほど高く飛び、何秒間空中に浮いていられるか」という滞空時間(ハングタイム)と高さ、そしてスタイルが最大の評価基準であった。当時のまだデパワー性能がほとんどない荒々しい2ラインや初期の4ラインCカイトを操り、ロビー・ナッシュ(Robby Naish)、フラッシュ・オースティン(Flash Austin)、マックス・ブルーム(Max Blum)、ウィル・ジェームス(Will James)、マーク・シン(Mark Shinn)、クリス・ギルバート(Chris Gilbert)、そして地元スペインのパイオニアであるハイメ・エライス(Jaime Herraiz)といった創世記のレジェンドたちがしのぎを削った。
その後、2000年代中盤に入ると機材の進化とアンフック(ニュースクール・フリースタイル)の台頭に合わせてフォーマットも進化し、ビッグエアと最先端のフリースタイルを融合させたコンテストとして、2009年頃までタリファの夏を象徴する風物詩として続いた。
次世代への影響と「Ride the Sky」への継承
この大会がカイトサーフィン史に果たした最大の功績は、次世代の絶対王者たちに鮮烈な原体験を与えたことである。のちに前人未到の5度の世界王者に輝くアーロン・ハドロウ(Aaron Hadlow)が幼少期の1999年に初めてタリファの大会会場に姿を現したのもこの第1回Red Bull Sky Rideであり、また、のちにRed Bull King of the Airを2度制するジェッセ・リッチマン(Jesse Richman)も、2002年にタリファで開催されたRed Bull Sky Rideを目の当たりにしたことがカイトサーフィンにのめり込む直接のきっかけになったと語っている。
競技シーンの主流がPKRAツアーを中心としたニュースクール・フリースタイル(ウェイクスタイル)へと完全に移行したことで、Red Bull Sky Rideも2000年代末をもって約10年の歴史に幕を下ろした。しかし、そのDNAは消えることなく受け継がれ、終了から約15年後の2024年9月、タリファのバルネアリオ(Balneario)で初開催されたRed Bull King of the Air公式予選において、この伝説の大会へのオマージュとして「Ride the Sky」のサブタイトルが冠され、現代のモンスタースペックなビッグエア大会として見事な復活を遂げている。
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