「君たちは異なるスポーツから技術を取り入れ、それを進化させて新たなトリックを作り出している。最近目にしたマキシムやコッコルートのバックモブ5オズモシスが良い例だ。かつてショーン・マレーがオズモシスを生み出したウェイクボードの時代のように、他のスポーツから得た情報を進化させ、挑戦し、新しい技を創造している。」
— ジム・ガウント
マウイにおけるウェイクスタイルの夜明け
2018年のGKA Kite World Tour ブラジル大会において、ウェイクボード由来のトリックをさらに進化させた新技「バックモブ5オズモシス」が飛び出した際、実況ブースはこの熱狂に包まれた。ジャンマリア・コッコルート(Gianmaria Coccoluto)とマクシム・シャブロー(Maxime Chabloz)が毎晩ウェイクボードの動画を研究し、切磋琢磨する中で生まれたというこの技は、カイトサーフィンが常に他競技からの「技術輸入」とリスペクトによって進化してきた歴史を雄弁に物語っている。
この「他競技の動画を研究し、新しいスタイルを生み出す」というDNAの起源を辿ると、1990年代後半から2000年代初頭のハワイ・マウイ島に行き着く。当時のカイトボーダーたちはディレクショナル・ボードでのウェーブ・ライディングや風の力を利用したビッグエアを主流としていたが、ルー・ワインマン(Lou Wainman)やエリオット・レボウ(Elliot Leboe)といったパイオニアたちは、全く異なるアプローチを模索し始めた。
彼らはツインチップ・ボードにウェイクボード用のバインディング(ブーツ)を取り付け、カイトのパワーを直接腕で受け止める「アンフック」でのライディングを開始した。これが、後に競技フリースタイルの土台となる「ウェイクスタイル」の幕開けである。当時、彼らもまたボートに引かれるウェイクボードの映像を擦り切れるほど見て、そこから次々と革新的なトリックをカイトサーフィンへと輸入していった。
ボニファイ兄弟が残したトリックの設計図
ウェイクスタイルの進化において、カイトサーフィンに最も多くのインスピレーションとトリックの「設計図」を与えたのが、ウェイクボード界の伝説的ライダーであるパークス・ボニファイ(Parks Bonifay)と弟のシェーン・ボニファイ(Shane Bonifay)である。
生後6ヶ月で水上スキーに乗ったことで知られ、14歳でX Gamesの王者に輝いた兄のパークスは、空中技の限界を押し広げた類まれなるイノベーターである。弟のシェーンもまた、スケートボードライクな独自のスタイルでシーンを牽引した。彼らが出演する『Pointless』などの映像作品は、当時のカイトボーダーたちにとってバイブルであった。
カイトサーフィンで現在も使われている主要トリックの多くは、彼らが考案したものである。例えば、ウェイクボード界で「911」や「バルカン(Vulcan)」、さらには世界初の「1080」をメイクしてエアリアルの概念を拡張した兄のパークスは、レイリー姿勢から空中でバックサイド180を回す「ブラインドジャッジ(Blind Judge)」の生みの親である。一方、弟のシェーンはトー・サイド・フロントロールからのバックサイド360である「ダムダム(Dum Dum)」や、バックサイド180の「トゥーツィーロール(Tootsie Roll)」といった高度なインバート(フリップ)トリックを開発した。
トリック名に込められた遊び心
ボニファイ兄弟の発明以外にも、ウェイクボードから輸入され、カイトサーフィンにそのまま定着したトリック名には、ストリート特有の遊び心とカルチャーが表れている。
13歳だった弟シェーンが発明した「ダムダム」や「トゥーツィーロール」は、彼が好きだったアメリカのキャンディの名前に由来している。また、スコット・バイリー(Scott Byerly)が考案した「ピート・ローズ(Pete Rose)」(トー・サイド・バックロールからのフロントサイド360)は、空中の飛び込み姿勢がメジャーリーグの伝説的選手であるピート・ローズの代名詞「ヘッドスライディング」に似ていることから名付けられた。
他にも、「メイクできる可能性が極めて低い(スリムチャンス)」という難易度の高さがそのまま名前になった「スリムチャンス(Slim chance)」や、ヒールサイド・バックロールからのバックサイド360である「KGB」など、独特なネーミングが存在する。カイトボーダーたちは自ら名前を付け直すことなく、先駆者たちへのリスペクトを込めてこれらの名称を受け継いだ。
フリースタイルからパークスタイルへの継承
ボニファイ兄弟らが切り拓いたエアリアルやハンドル・パスの概念は、アーロン・ハドロウ(Aaron Hadlow)をはじめとする次世代のプロカイトボーダーたちによって極限まで洗練され、2000年代後半から爆発的な「テクニカル・フリースタイル」のブームを巻き起こした。
さらに時代が進むと、『Free Ride Project』などの映像作品が起爆剤となり、純粋なウェイクボードのようにキッカー(ジャンプ台)やスライダーなどの人工障害物を設置して滑る「パークスタイル」が誕生した。Kite Park Leagueの大会では、「いかにスタイルを出してトリックをメイクするか」というウェイクボード由来の価値観が今も競技の軸となっている。
現在、カイトサーフィンの熱狂は再びビッグエアへと回帰しつつあるが、テクニカルなボードコントロールの根底には、ボニファイ兄弟が湖で描き、マウイのパイオニアたちが海へと持ち込んだDNAが色濃く受け継がれている。
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